11月27日(土)10時34分58秒
こういうわけで、私はBethelotとともにグロタンディエク先生
と一緒の仕事をすることが大変幸いなものでした。
当時は、3年で学位論文をものにするといったことは特に無かったのです。
学位論文(these d'Etat )ですから、7,8年かかってもよかったのです.
SGA6のセミナーではうまく行って最終的には Riemann-Rochをきわめて一般な形で証明できて
Bethelotと一緒にとても幸せな感じを持ちました。
グロタンディエク先生のやり方をそっくりまねてみようとしたものです。
先生が導来圏での有限性定理についての草稿をくれたので
「これは点での話ですから、toposでのファイバー圏に一般化すべきです」(笑い)
と先生に言いました。それはナイーブすぎる発想でしたが、正しい一般化になることが
わかりました。
Drinfeld: SGA6の最終版はどうなったのですか。このような一般化も載ったのですか
Illusie:そうです
Drinfeld: グロタンディエク先生は喜んでいたのですか
Illusie:そうです,もちろん
Drinfeld: それはあなたの考えでしたのでしょう,グロタンディエク先生ではなく
Illusie:そうです
Drinfeld: グロタンディエク先生は評価してくれたのでしょうか。
2010年11月22日月曜日
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グロタンディク10 投稿者:iitaka 投稿日:2010年11月19日(金)14時08分51秒
森で散策
ゼミに来る人を思い出すしてみると, Bethelot, Cartier, Chevalley, Demazure,Dieudonne,Giraud,Jouanolou,Neron,Poitou,Raynaud, his wife Michele, Samuel,Serre,Verdier.
言うまでもないのですが,
海外からの参加者も少なくなかったのです。長期の外国人数学者もいました
Tits, Deligne は1965年から参加しました。Tate も来たしその後 Kleiman,Katz,Qillen など
当時は4時にIHESの製図室でお茶を飲んだものです.
そこで人にあい、議論もしました。それ以外に、IHESでのランチの時間に人に会いました。
そこに行くようにしていましたが、
グロタンディエク先生の他に、セールやテイトも居て、モチーフなどについて盛んに議論していたのですが、
私にはよく分からないままでした。
リーマンロホを扱ったのはSGA6ですが、1966には始まりました。
その少し前に、Bethelotと私はグロタンディエク先生から「君たちも話すようにしなさい」といわれて
導来圏での有限性、やK群についての,予稿を手渡されました。
そしてBethelotとともに私も数回話をして、原稿を作りました。
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グロタンディク10 投稿者:iitaka 投稿日:2010年11月19日(金)14時08分51秒
森で散策
ゼミに来る人を思い出すしてみると, Bethelot, Cartier, Chevalley, Demazure,Dieudonne,Giraud,Jouanolou,Neron,Poitou,Raynaud, his wife Michele, Samuel,Serre,Verdier.
言うまでもないのですが,
海外からの参加者も少なくなかったのです。長期の外国人数学者もいました
Tits, Deligne は1965年から参加しました。Tate も来たしその後 Kleiman,Katz,Qillen など
当時は4時にIHESの製図室でお茶を飲んだものです.
そこで人にあい、議論もしました。それ以外に、IHESでのランチの時間に人に会いました。
そこに行くようにしていましたが、
グロタンディエク先生の他に、セールやテイトも居て、モチーフなどについて盛んに議論していたのですが、
私にはよく分からないままでした。
リーマンロホを扱ったのはSGA6ですが、1966には始まりました。
その少し前に、Bethelotと私はグロタンディエク先生から「君たちも話すようにしなさい」といわれて
導来圏での有限性、やK群についての,予稿を手渡されました。
そしてBethelotとともに私も数回話をして、原稿を作りました。
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グロタンディク総合 投稿者:iitaka 投稿日:2010年11月18日(木)10時36分44秒
AMS Notice, 2010, vol 57,number 9
グロタンディエクと彼のスクールの思い出
2007/1/30 Illusie が思い出を語る
IHESで
1964年、IHESでSGA5(1964-66)の第1回
に出ました。第2回は1965-66だった。
セミナーは毎火曜日に、行われ、2:15から始まり、90分した後
お茶が出た。たいていグロタンディエクが話した。そして、
夏中、事前に概要を示した草稿を配布してくれた。
それを基に話してくれそうな人に渡した。
たくさん学生もいたが彼らにも渡して、きちんとnote
を取るように言った。
最初にグロタンディエクにあったとき怖かった。
それは1964年のことであった。カルタン先生に
君のやっていることに関係があるので
グロタンディエクにあうといい
と言われました。その頃,Atiyah-Singer の指数定理の相対化
をやっていました。定式化はグロタンディエクの方式ですから
カルタン先生がそうおっしゃったのはもっともです。
私は Hilbert バンドル、有限コホモロジを持つ
Hilbert バンドルの複体に関してすこし仕事をしていました。
中国人の研究者 Shih Weishu がグロタンディエクに紹介してくれました。
彼は Atiyah-Singer 公式についての
Cartan-Schwartz セミナーではプリンストンにいました.
Palais が世話役のセミナーも平行して開かれていて一緒に
特性類で仕事をしたこともあり、その後、IHESに来ていました。
彼はグロタンディエクと友達づきあいをしていて、紹介してやるぜ
と言いました。
そんなわけで、午後2時、IHESの研究室で
グロタンディエクにあうことになったのです。その部屋は今は
事務室になっています。
それはともかく,研究室につながった待合室で彼と面会しました.
最初に私は自分のしていることを話し始めたところ,グロタンディエクは突然
可換図式を書き、これでどうにかなるものでもないけれど、自分のやっていることの
アイデアを話してやろう。というのです。
それから長い間、導来圏の有限性の条件について話してくれました。
私は、導来圏については全く知らなかったのです。
君のやっているHilbertバンドルの複体じゃないよ。
君(Illusie)はこれから
環つき空間で有限のTor次元をもつ準連接層の圏をやるんだね,
と言って笑うのです.
非常に複雑なものでした。しかし、彼が説明してくれたことは
私がやろうとしていたことの定式化に確かに役にたったのです。
そのときノートをとりましたが、あまり理解できませんでした。
代数幾何について何も知らなかったのです。
しかし、グロタンディエクは、秋になったらセミナーをする。
SGA4の続きだ。というのです。
それは,SGAAと当時呼ばれていて,代数幾何とArtinのセミナーでした
グロタンディエクは,今度は局所コホモロジをする来年になったら
エル進コホモロジ,トレース公式,L関数までやる.
私(Illusie)は,「もちろん、出席しますが,ついていけるかどうか,心配です」
というとグロタンディエクは
「出てノートをとってくれ、それで第1稿にするから」
と言うのです。しかし、講義の予稿もなく、最初の講義に臨みました.
グロタンディエクは恐るべきエネルギーで板書を始めました.
しかし、必要な事項はすべて細心の注意をもって書いてくれました.
講義は実に整然として、私は知識がほとんど無かったのに講義の形式的な構造は
よく分かりました。実に早く進みますが明快な講義なのでノートを取ることができたのです.
講義は手短に大局的双対定理,f^!,f_! の定式化を復習することから始まりました.
実は私は、導来圏の言語をほんの少し知っていました。だから三角圏などにもそれほどは恐れを抱きませんでした。
そして講義は、双対化複体に進みかなり理解が困難になって来ました.
1月たって、noteにまとめ、グロタンディエク先生におそるおそる手渡しました.
50ページほどでしたがグロタンディエクには丁度よい長さでした
以前,Houzel(Illusie の教育助手を務めたことがある) にこんなことがありました.
Houzelがグロタンディエクに「結果が出てまとめたので,差し上げたいのです」
解析幾何(高校のではない、専門的な意味で,代数幾何に対して使う)に関してのもので
10頁ほどでした.
グロタンディエク先生は「50頁もかいてから,またいらっしゃい」と答えて大笑いになりました。
それはともかく、長さは適当でした。がとても心配になりました。
その仕事とは別に、Hilbertバンドルの複体についての研究結果もまとめて書き上げたからです。
ようやくできた最終稿は私にとって悪くないものでした。
グロタンディエク先生は「ちょっとみてみようか」と言うので
最終稿を渡しました。しばらくして、グロタンディエク先生は「少しコメントをつけた.
後で自分のとこに来てくれ。説明しよう」と言います。
そこでグロタンディエク先生のところに行きました.私の原稿は、鉛筆でつけられた
多くの注意書きで真っ黒になっていました。これにはびっくりしました。
私は、原稿はほぼ完全なものと思っていたのですが、全面的な書きかけが必要でした。
グロタンディエク先生の注意はすべて正しいのです。フランス語についての注意書きも
先生は正しかったのです。
基本的な書き方も、構成自身もすべて直すように言われました。
そんなこともあり私の書いた, local duality についての小論もこの分では
大変なことになると思い心配でした。
しかし、1月ほどたってから、グロタンディエク先生は「だいたいOKだね。少し注文をつけたいから
部屋にまたきてくれ」と言われました。
これが始まりで、グロタンディエク先生の部屋に出かけることが多くなりました。
当時グロタンディエクは Bures-sur-Yvette, rue de Moulon にある2階建ての白亜の
建物にいました。そこにある室は質素なもので特に冬は寒かったです.
鉛筆書きの父上の肖像画があり、またテーブルには母上の死面がおかれていました。
机の向こうにはファイリングキャビネットがあり、書類が必要になるとすぐに見つけました。
整然としていたのです。一緒に椅子に座り2時から私の作った改訂版についての先生のコメントぬいついて
議論しました2時にはじめ、4時頃には終わりました。
4時頃になると、先生は「よしお茶にしよう」
というのでした。
散歩したり、お茶を飲むこともありました。
その後、部屋に戻りまた仕事を再開しました。
7時には夕食を彼の家族ととりました。
奥様と、息女そして2人の息子さんが一緒でした。
夕食を早めに切り上げて、また仕事になりました。
よし、少し説明すると言って、グロタンディエク先生は私一人を相手に講義を始めました。
基本群に関していろいろな観点から説明しよう、と言って
位相幾何的方法、スキーム論的見方(SGA3 にある一般化された基本群)、toposの立場から
説明するのです。
理解しようと必死に努力しましたが、とても大変でした。
グロタンディエク先生は準備をすることなく黒板で早くきれいに書いて講義をします。
書かないと考えられないんだ、とご自分でもおっしゃいました。
私(Illusie)自身は目を閉じてじっと考えないとできません。
体を横にして寝ながら考えることもありますが、先生はまってく違います。
やおら紙を取り出し、書き始めます。
X → S と書いてからそしてpenを走らせ、記号と矢印で一杯になるまで
書いています。
これらの記号の詰まったものを見ること自身が楽しかったようです。
11時30分が過ぎる頃、仕事をやめにして、先生は私と駅まで歩いてくれました。
パリに行く終電がきます。それで帰るのですが、先生と過ごした午後の日々はいつもこんなものでした。
グロタンディク総合 投稿者:iitaka 投稿日:2010年11月18日(木)10時36分44秒
AMS Notice, 2010, vol 57,number 9
グロタンディエクと彼のスクールの思い出
2007/1/30 Illusie が思い出を語る
IHESで
1964年、IHESでSGA5(1964-66)の第1回
に出ました。第2回は1965-66だった。
セミナーは毎火曜日に、行われ、2:15から始まり、90分した後
お茶が出た。たいていグロタンディエクが話した。そして、
夏中、事前に概要を示した草稿を配布してくれた。
それを基に話してくれそうな人に渡した。
たくさん学生もいたが彼らにも渡して、きちんとnote
を取るように言った。
最初にグロタンディエクにあったとき怖かった。
それは1964年のことであった。カルタン先生に
君のやっていることに関係があるので
グロタンディエクにあうといい
と言われました。その頃,Atiyah-Singer の指数定理の相対化
をやっていました。定式化はグロタンディエクの方式ですから
カルタン先生がそうおっしゃったのはもっともです。
私は Hilbert バンドル、有限コホモロジを持つ
Hilbert バンドルの複体に関してすこし仕事をしていました。
中国人の研究者 Shih Weishu がグロタンディエクに紹介してくれました。
彼は Atiyah-Singer 公式についての
Cartan-Schwartz セミナーではプリンストンにいました.
Palais が世話役のセミナーも平行して開かれていて一緒に
特性類で仕事をしたこともあり、その後、IHESに来ていました。
彼はグロタンディエクと友達づきあいをしていて、紹介してやるぜ
と言いました。
そんなわけで、午後2時、IHESの研究室で
グロタンディエクにあうことになったのです。その部屋は今は
事務室になっています。
それはともかく,研究室につながった待合室で彼と面会しました.
最初に私は自分のしていることを話し始めたところ,グロタンディエクは突然
可換図式を書き、これでどうにかなるものでもないけれど、自分のやっていることの
アイデアを話してやろう。というのです。
それから長い間、導来圏の有限性の条件について話してくれました。
私は、導来圏については全く知らなかったのです。
君のやっているHilbertバンドルの複体じゃないよ。
君(Illusie)はこれから
環つき空間で有限のTor次元をもつ準連接層の圏をやるんだね,
と言って笑うのです.
非常に複雑なものでした。しかし、彼が説明してくれたことは
私がやろうとしていたことの定式化に確かに役にたったのです。
そのときノートをとりましたが、あまり理解できませんでした。
代数幾何について何も知らなかったのです。
しかし、グロタンディエクは、秋になったらセミナーをする。
SGA4の続きだ。というのです。
それは,SGAAと当時呼ばれていて,代数幾何とArtinのセミナーでした
グロタンディエクは,今度は局所コホモロジをする来年になったら
エル進コホモロジ,トレース公式,L関数までやる.
私(Illusie)は,「もちろん、出席しますが,ついていけるかどうか,心配です」
というとグロタンディエクは
「出てノートをとってくれ、それで第1稿にするから」
と言うのです。しかし、講義の予稿もなく、最初の講義に臨みました.
グロタンディエクは恐るべきエネルギーで板書を始めました.
しかし、必要な事項はすべて細心の注意をもって書いてくれました.
講義は実に整然として、私は知識がほとんど無かったのに講義の形式的な構造は
よく分かりました。実に早く進みますが明快な講義なのでノートを取ることができたのです.
講義は手短に大局的双対定理,f^!,f_! の定式化を復習することから始まりました.
実は私は、導来圏の言語をほんの少し知っていました。だから三角圏などにもそれほどは恐れを抱きませんでした。
そして講義は、双対化複体に進みかなり理解が困難になって来ました.
1月たって、noteにまとめ、グロタンディエク先生におそるおそる手渡しました.
50ページほどでしたがグロタンディエクには丁度よい長さでした
以前,Houzel(Illusie の教育助手を務めたことがある) にこんなことがありました.
Houzelがグロタンディエクに「結果が出てまとめたので,差し上げたいのです」
解析幾何(高校のではない、専門的な意味で,代数幾何に対して使う)に関してのもので
10頁ほどでした.
グロタンディエク先生は「50頁もかいてから,またいらっしゃい」と答えて大笑いになりました。
それはともかく、長さは適当でした。がとても心配になりました。
その仕事とは別に、Hilbertバンドルの複体についての研究結果もまとめて書き上げたからです。
ようやくできた最終稿は私にとって悪くないものでした。
グロタンディエク先生は「ちょっとみてみようか」と言うので
最終稿を渡しました。しばらくして、グロタンディエク先生は「少しコメントをつけた.
後で自分のとこに来てくれ。説明しよう」と言います。
そこでグロタンディエク先生のところに行きました.私の原稿は、鉛筆でつけられた
多くの注意書きで真っ黒になっていました。これにはびっくりしました。
私は、原稿はほぼ完全なものと思っていたのですが、全面的な書きかけが必要でした。
グロタンディエク先生の注意はすべて正しいのです。フランス語についての注意書きも
先生は正しかったのです。
基本的な書き方も、構成自身もすべて直すように言われました。
そんなこともあり私の書いた, local duality についての小論もこの分では
大変なことになると思い心配でした。
しかし、1月ほどたってから、グロタンディエク先生は「だいたいOKだね。少し注文をつけたいから
部屋にまたきてくれ」と言われました。
これが始まりで、グロタンディエク先生の部屋に出かけることが多くなりました。
当時グロタンディエクは Bures-sur-Yvette, rue de Moulon にある2階建ての白亜の
建物にいました。そこにある室は質素なもので特に冬は寒かったです.
鉛筆書きの父上の肖像画があり、またテーブルには母上の死面がおかれていました。
机の向こうにはファイリングキャビネットがあり、書類が必要になるとすぐに見つけました。
整然としていたのです。一緒に椅子に座り2時から私の作った改訂版についての先生のコメントぬいついて
議論しました2時にはじめ、4時頃には終わりました。
4時頃になると、先生は「よしお茶にしよう」
というのでした。
散歩したり、お茶を飲むこともありました。
その後、部屋に戻りまた仕事を再開しました。
7時には夕食を彼の家族ととりました。
奥様と、息女そして2人の息子さんが一緒でした。
夕食を早めに切り上げて、また仕事になりました。
よし、少し説明すると言って、グロタンディエク先生は私一人を相手に講義を始めました。
基本群に関していろいろな観点から説明しよう、と言って
位相幾何的方法、スキーム論的見方(SGA3 にある一般化された基本群)、toposの立場から
説明するのです。
理解しようと必死に努力しましたが、とても大変でした。
グロタンディエク先生は準備をすることなく黒板で早くきれいに書いて講義をします。
書かないと考えられないんだ、とご自分でもおっしゃいました。
私(Illusie)自身は目を閉じてじっと考えないとできません。
体を横にして寝ながら考えることもありますが、先生はまってく違います。
やおら紙を取り出し、書き始めます。
X → S と書いてからそしてpenを走らせ、記号と矢印で一杯になるまで
書いています。
これらの記号の詰まったものを見ること自身が楽しかったようです。
11時30分が過ぎる頃、仕事をやめにして、先生は私と駅まで歩いてくれました。
パリに行く終電がきます。それで帰るのですが、先生と過ごした午後の日々はいつもこんなものでした。
2010年11月8日月曜日
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